聖帝さまの小話

基本、思い出。

失われたデータを求めて

 

連日のうだるような暑さで、

真夏の新宿 歌舞伎町はアスファルトを焦がしながら

街全体が蜃気楼のように湯気を上げていた。

七月の末、大暑の東京。

 

私は新宿 歌舞伎町近くにある

細長い雑居ビルの一室に入っている

雀荘梁山泊』で

いつものように仲間と麻雀を打っていた。

 

そもそもこの店が『雀荘』なのかどうなのか、

それすらも怪しい。

 

まずもって雀卓は一つしかないし、

この店で、我々以外が麻雀をしてるのを

見たことがない。

たまに知らないサラリーマンが昼時になると

中華を食べに来るのは何回か見たが、

それ以外はほとんど客というものを、

私を含め誰も、見たことがない。

 

この奇妙な店の主は中国 広東の出身で、

名前を『黄さん』という。

白髪の少し混ざった40代の男性だ。

彼とはひょんなことから仲良くなり、

まぁ色々と面倒なことを経て、

今の付かず離れずの関係となっている。

 

実のことを言うと、

私も彼のことを、あまりよく知らない。

彼がたまに厨房で作る中華料理は

素人のそれではないので、

たぶん、料理人として日本に来たのだろう。

 

確か黄さんには

子供がいると聞いたことがあるが、

奥さんはいない。

 

私の古い友人で劉鈴麗という女がいる。

私は彼女のことを『リリィ』と呼んで、

妹のように可愛がった。

 

彼女とは5年ほど前、上海で初めて会い、

その後、この新宿で再び会うことになるのだが、

その時には随分と顔が変わっていた。

日本に来て、アルバイトで貯めたお金を

ほとんど語学勉強と整形手術に使い、

私と再び会う頃には、

歌舞伎町のキャバクラでホステスになっていた。

 

黄さんは、そのリリィのお客さんだった。

奥さんに逃げられた弾みでキャバクラにハマり、

その時に随分とリリィに入れあげたようだ。

 

彼女の売り上げに対する借金も

かなり溜まっていて、

リリィとはかなり金銭トラブルがあったようだ。

 

リリィがもうすぐ中国に帰ることを

知っていた私は

彼女が歌舞伎町の夜の世界から足を洗い、

清廉潔白の身で日本を旅立てるようにするため、

黄さんから手を引くよう彼女に促した。

 

だから正直私はそれほど、

黄さん自身には思い入れがある訳ではない。

でも彼の方は少しばかり私に

借金帳消しの恩を感じてくれているようで、

この店をいつもタダで使わせてくれる。

 

そんなこんなで、店長である黄さんの迷惑も顧みず、

この奇妙な店に入り浸っている次第だ。

 

この店にはカウンターが3席と、雀卓が1卓、

そして奥に3人がけのソファが1つあるだけ

合計でも10席しかない。小さな店だ。

 

西の窓から燦々と入る夏場の西陽は、

とても夏の情緒や風情など、カケラもない。

不快なほどのオレンジでこの部屋を染める。

 

東の出入り口から店に入ると

右手に厨房とカウンター、

左手の奥にソファ、正面に雀卓

といった簡素な作りで、

 

この日は、厨房に黄さん

雀卓に私と他男3人、

奥のソファーには、最年少の『電波少年』こと

加賀山がノートパソコンを開きながら座っていた。

 

雀卓には東西南北の席があり、

私は『東』に座っていたので、

この部屋に差し込む猛烈な西陽を

正面から受ける形をとっていた。

 

私の敗色がすでに濃厚となっていた南三局、

私のすぐ背後にある出入り口が

ガチャリと開いた音がした。

 

誰か気になったが、私は麻雀に集中していたので

振り返ることはしなかった。

 

奥のソファーに座っている電波少年に目をやると、

何やらソワソワしている。

 

この辺りで、誰が来たか大方の見当は付いていた。

続いてコツ…コツ…と

ハイヒールの音が近付いてくる。

 

その音はちょうど私の背後で止まったかと思うと、

いかにも高級な香水の匂いが、

覆いかぶさるように私を包んだ。

 

『ちょっと…! ケムいわよこの店…。』

その色っぽい声で確信した。

そして私はにやりと笑った。

振り向くまでもない。

長い付き合いの女だから。

 

私はタバコをくわえて雀卓を見つめたまま、

『今日は何時からご出勤ですか?女王様』

と背後の彼女に聞いた。

 

『今日は10時から、3時間だけ。

   ねぇ、そんなことよりケムいんだけど?

   早く窓開けてくれない?』

 

その声を聞いてソファに座っていた電波少年

急いで店の窓をガラガラと開け始める。

 

店の中に、夏の新宿独特の

むせ返るような排気ガスと、

飲食店から出る雑多な匂いを

帯びた風が吹き込む。

 

夕方になっても一向に留まることを知らない

真夏の熱気が、部屋に充満した。

 

『おいバカ…熱いから閉めろ』

そう私が加賀山に言うと、

彼は少し口をすぼめて、しぶしぶ窓を閉じた。

 

私は彼女の方を振り返って、

『10時から出勤?まだだいぶ時間あるけど?』

『時間あるからちょっと寄ったのよ

それなのに…こんなケムくて嫌んなっちゃった!』

『それは悪かったね』

 

椅子に座ったまま彼女を見上げると、

一目で水商売だと分かる

開いた胸元にビジューのついた

ミニ丈の青いワンピース。

ウェーブがかった深いブラウンの長い髪。

涼しげな目元には淡いブルーのアイシャドウが

カタチの整い過ぎた鼻へスゥッと伸びている。

 

いつ見ても妖艶な女である。

それでいて少し媚びるような薄ピンクのリップが

世のおじさん達には堪らないのだろう。

 

先程から雀卓にて敗色濃厚の私は

誰にも見えないように彼女の太ももに手を伸ばし

片目をつぶって合図を送った。

 

彼女は自分が持っていたハンドバッグを雀卓へ

バンッ!と無造作に置くと、

卓上の麻雀牌は跡形もなく崩れた。

 

他の3人が『あぁー!!』と叫んで、

この局は勝敗を待たず、終わりを迎えた。

 

『まぁ少し休憩しようや、黄さん!俺コーヒー!』

私が嬉々として注文すると、

みんなこぞって飲み物を注文した。

 

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『登場人物紹介』

 

先程も言ったが、彼女とは長い付き合いで

まだ私が18歳の頃から、

何かにつけて新宿などで一緒に遊んでいる。

彼女の名前は『千秋』

私より2つか3つ年上なのだろうが、

詳しい年齢は知らない。

水商売を生業としてる女だ、

自分の年齢すら忘れてるかもしれない。

おじさん達から巻き上げたお金は全て、

自分が欲しいものを買うために湯水の如く使う。

(まぁ昔、私の家賃を出してくれてたりするので、

   文句は言えないのだが)

背が高く聡明な彼女は

私と付き合いが長い分、

私の意図にすぐ気付いてくれるが、

たまに気付きすぎて知られたくない事も隠せない、

少し厄介な存在。

【表参道のキラークイーン】を参照

 

ソファに座ってゲームに熱中していた

オタク学生の加賀山は、20になったばかり。

東工大でプログラミングを学んでいる。

5歳の頃から自分のパソコンを持ち、

実世界での出来事より、電脳世界の方が気になる。

最近メガネをコンタクトに変えたらしいが、

まだ慣れてないらしく、今日もメガネで来ている。

色恋沙汰とは全く無縁の彼も、

キラークイーンに惚れているようで、

彼女の指示にはなんでも従うようだ。

電波少年】を参照

 

雀卓の『南』に座っている松田は私と同い年、

元甲子園球児で語気の荒い岡山弁が特徴。

いつも50C.C.の原付で行動している。

足の速さを買われてベンチ入りしただけあって

機動力はバツグン。あとレスポンスも速い。

私が『今日暇なやついる?』と呼びかけて

1分とかからず『ワシ暇やで』と返信が来る。

『おつかい』担当の松田。

【岡山のスピードスター】を参照

 

『北』に座っている萩原は明治の体育会員。

食事の前にも祈りを欠かさない

敬虔なクリスチャン。

190センチを超える巨体のラガーマンで、

普段はめったに感情を表さない。

とても優しい心を持った奴なのだが、

どこか融通の利かないところがあり、

気がつくと損な役回りを

押し付けられていることも珍しくない。

メンバーの中で唯一彼女がいるが、

松田いわく『なかなかのブス』とのこと。

本人もそれを自覚しているらしく、

その事を馬鹿にされると、

人が変わったように暴力的になり、

男が3人がかりでも手がつけられない

実際、松田は一度、それで死にかけている。

【静かなる暴れ牛】を参照

 

私の正面の『西』に座っているレイは

私のホスト時代の後輩。同い年ではあるが、

私の方が1ヶ月早くホストクラブに入店したため、

私の事を『りょうさん』と呼んでくる。

彼の方はホスト現役の頃から相変わらずで、

今でも私を蹴落とす時を虎視眈々と伺っている。

とはいえ、私も彼もお互いに、

そう多くない友人の1人である事には相違なく、

なんだかんだで

いつも一緒に酒やタバコを共にしている。

本名は『秀吉』といい、

私はそれを良い事に、

彼を陰で『サル』と呼んでいる。

【ミスターNo.2】を参照

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みんなで黄さんが出してくれた

コーヒーやウーロン茶を飲みながら、

夕方のニュースを見ていた。

 

またどこかの県の山間の地区で

少女が遺体となって発見されたらしい。

こんなニュースばっかりで嫌になる。

 

松田が『キショいわ、世の中ロリばっかじゃけぇ』

と言いながらチャンネルを回す。

 

ポケモンを放送しているチャンネルがあった。

 

20代半ばの男女と50近いおじさんの7人で、

まじまじとテレビに映るポケモンを観ていた。

 

私『懐かしいなー』

松田『カスミどこいったん?』

レイ『いつの話だよ』

萩原『もう全然分からないね。最近見てないから』

千秋『あんたらも、ポケモンとかやったの?』

 

私『やったよ!そりゃあ』

レイ『みんなどこまでやった?』

萩原『ルビーサファイアでおわりかな』

松田『ワシはダイヤモンドパールまでやったけぇ』

私『俺は…あっエメラルドってあったよな?

  ルビーサファイアのスピンオフ的な…アレまで』

松田『レックウザのヤツなー。欲しかったわー』

レイ『俺もそこまでだな』

 

私『そういう千秋は?ポケモンやったの?』

千秋『うーん、ポケモンはやらなかった』

松田『じゃあ何やっとったん?』

千秋『…星のカービィとか』

男全員『『かわいいー!!』』

千秋『ウザいんだけど、そういうの』

 

私『そうだ加賀山は?ポケモンどこまでやった?』

加賀山『今もやってますよ』

私『え?まじ?』

千秋『さすが電波少年ww』

レイ『お前ゲーマーだもんな』

松田『アレやろ今ってX Yとかあるんやろ?』

加賀山『ウルトラ サン・ムーンですよ』

松田『はっ?なんじゃそれ?』

加賀山『常識ですよ、今どき』

 

レイ『この年齢までポケモンやってるとさ、

          さすがにポケモン全部ゲットすんの?』

加賀山『まぁ、そうですね』

松田『すげぇ!ミュウとかも全部?』

加賀山『え?ミュウ?あぁ……。』

松田『え?』

萩原『まさか』

加賀山『いや、ゲットしましたよ…?

              したんですけど…、』

私『なんだよゲットしたのかよ』

加賀山『ミュウの色違いが、ねぇ…。』

全員『!!!!!!』

レイ『お前、そんなレベルまでやりこんでんの?』

萩原『全部の色違い集めてるってこと?』

加賀山『いやいや!さすがにそんな事はなくて、

              ミュウだけですよ』

松田『なんじゃもう!!脅かすなや!!』

レイ『あーまじ ビビった』

 

店全体が安堵に満ちた笑いに

包まれているのを尻目に、

加賀山が少し浮かない顔をしていた。

 

彼のこういう顔は見たことがない。

まるで、何か嫌なことを思い出したように、

彼は悲しそうに笑って、コーラを飲んでいた。

グラスの水面に浮かんでは消える

炭酸の泡を見つめながら、

加賀山の目が少しだけ潤んでいた。

 

私『なんでミュウなんだ?』

加賀山『…え?』

松田『まだその話するんか!』

私『だって変だろ。こんだけポケモンいて、

      ミュウだけ色違いが欲しいなんて』

松田『変って…加賀山はミュウが好きやんな?

          ただそれだけの事やんな?』

加賀山『……。』

松田『違うんか?』

レイ『どうせミュウだけ価値が高いんだろ?

          ゲーマーの間でステータスになるとか、

          たぶんそんな感じだろ』

加賀山『……。』

レイ『絶対そうだって』

 

萩原『少し加賀山の話をきいてあげなよ』

 

心の優しい萩原は加賀山の異変に気付いていた。

 

私『加賀山…どうなんだ?』

加賀山『ミュウの色違いだけは、

            見せてあげられなかったんです』

私『誰に?』

加賀山『……。』

千秋『女でしょ、コレは』

私『いいから黙って聞けよ』

加賀山『……クラスの…女の子に…』

私『そうだったのか』

加賀山『色違いのミュウ持ってるって…

              あの時…嘘ついたんです』

松田『何でそんなしょうもない嘘ついたんじゃ?』

萩原『僕は分かるよ』

私『あぁ…誰にでもある事さ。必ずな。』

千秋『あーやだ、男ってほんとバカ』

 

さっきまで新宿の排気ガスと熱気と

下卑た笑いで満ちていたこの店は、

加賀山の涙のぶんだけ、湿っぽい空気が流れた。

涙のぶんだけ、空気は澄んだように静かだった。

 

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それが加賀山少年の初恋だった。

彼が小学2年の夏。

世の小学生は私を含め、皆ポケモンに夢中だった。

彼はある少女に恋をした。

可愛くてクラスの人気者である彼女と、

スポーツが苦手でゲームが友達の

加賀山少年との間には接点など無かった。

 

ある日彼は、

その少女もまたポケモンに夢中である事を知る。

 

彼は嬉しかった。

彼女と自分との間に初めて接点を見出した。

 

彼がゲームに詳しい事は、

クラスの誰もが知っていた。

彼女が加賀山少年にポケモンの質問をするのに、

そう時間はかからなかった。

 

『加賀山くん、あの洞窟 抜けれないんだけど…』

それが彼と彼女の初めての会話だった。

彼はもう有頂天で、

こと細かにその攻略法を説明した。

必要ないことや、聞かれてないことまで、

とにかく全てを説明した。

まるで自分の全てを分かってもらうように、

彼は、くまなく説明した。

 

人はそれを『オタクのコミュ障』と笑うだろう。

しかし、どうしても笑う気になれなかった。

オタクにも断じて、忘れられない程に

大切な『初恋』というものがあった。

 

初恋が上手く運ぶようなことはあり得ない。

あるとしたら、それはむしろ不運だ。

初恋が実ればあとは、その終わりを待つばかり、

初恋の存在が極めて尊いのは、

その成就が極めて難しいのに起因する。

しかし、その儚さがむしろ初恋を永遠にする。

 

『加賀山くんすごい!詳しいんだね』

彼女のあまりに素直な言葉は、

彼を赤面させたことだろう。

 

それからも彼女は、分からないことがあると

休み時間、教室にいる加賀山のところへ行き、

ゲーム攻略の指導を仰いだ。

 

彼にとっては、それが彼女とのデートだった。

デートに尺度があるとすれば

それはあまりに短く、小さなデートだったが、

彼にとっては千年の深さを持った。

 

『加賀山くんはポケモン全部もってるの?』

『も、もちろんもってるよ?』

『えー!すごい。じゃあミュウも持ってる?』

『えっ、あっ、あー。持ってる。持ってるよ!』

『色違いのミュウも?』

『いっ、色違いのミュウ…?』

『持ってないの?』

『いやいや!持ってるけど…。』

『えー!加賀山くんすごい!何色なの?』

『なに…いろ…?』

『うん!色違いのミュウって何色なの?』

『ん?あー…、何色だったかなぁ。』

『忘れちゃった?』

『…うん、あんまり覚えてない』

『でも持ってるんだよね?

   よかったら今度みせて?』

『え!あっ…あーもちろん!いいよ!』

『やったー!ありがと加賀山くん!』

 

 

『嘘を付くのは不誠実』だと人は言う。

でもそれは違うのかもしれない。

相手を敬い、失望させまいとして、人は嘘をつく。

彼女に好かれたい。彼女に嫌われたくない。

その一心で、加賀山少年はこの時 嘘をついた。

 

誰にでも、必ずあることだ。

『嘘をついた事はない』なんて奴が

1番の大嘘つきだと私は思う。

 

今日もどこかで女が言うだろう。

『嘘つく男の人は嫌い』

その男は好きな女のために、嘘をついて嫌われる。

それがこの世の定めなのかもしれない。

確かに、男は嘘をつく。

しかし、その嘘を『真実』にするため

男はその瞬間から走り回る。

 

加賀山少年もまた例に漏れず、

その部分においては人一倍の男であった。

 

彼は家に帰ると、

すぐにミュウの入手方法を調べた。

 

彼がいくらやっても捕まえられないはずである。

ミュウは当時、東京など都心部で開催される

イベントでしかゲット出来なかった。

 

そのイベントに足を運び、

ゲーム機にワイヤレスアダプタを接続し、

そこで配信されるデータ『ふるびた かいず』を

受信し、ゲーム内の港から出るフェリーで

『さいはてのことう』へ行くと、

そこにミュウがいる。

 

ミュウを捕まえるという目的に限定すれば

行程はこれだけでいい。

 

難しいのは色違いのミュウを捕まえる事だ。

 

ミュウはそのイベント配信でしか手に入らない、

そのイベントでミュウと遭遇しても、

色違いのミュウが出る確率は、

5000〜10000分の1と言われる。

 

小学三年生の加賀山少年が色違いのミュウを

ゲットするのは、ほぼ不可能であった。

 

それでも彼は、故郷の静岡からはるばる

離れた東京の神保町まで出向いて、

やっとの思いでミュウをゲットできるアイテム

『ふるびたかいず』を手に入れた。

 

東京から静岡へ帰る新幹線の中で、

彼は何度も色違いのミュウを探して、

そのミュウが色違いでないことを確認すると、

何度も何度も、

電源を消してはレポートした場所に戻ってを

絶えず繰り返した。

 

駅から家に帰る途中も、

車に轢かれそうになりながら、

色違いのミュウが出るまで繰り返した。

 

家に帰ってからも勉強机で、風呂場で、

ベットの上でもひたすら色違いのミュウを探した。

 

しかし何日、何ヶ月、同じことを繰り返しても、

色違いのミュウは出てこなかった。

 

加賀山少年が色違いのミュウを

彼女に見せることが出来ないまま、

ある日、彼女は東京の小学校へ転校した。

同時に彼も、色違いのミュウを探すことをやめた。

 

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私『それで、遂にその子とは会えず仕舞いか』

松田『キツイな』

千秋『たかがゲームでしょ?

          その子も大して見たくなかったわよ』

萩原『そうかな?』

レイ『仮にその子が大して興味なかったとしても

          好きな子の期待に応えられなかったのは

          男は一生覚えてるもんだよ』

私『おっ珍しいなレイ、お前が同情なんて』

レイ『俺だって、そのくらいわかりますよ』

 

加賀山『いや、会えないわけじゃないんですけど』

レイ『はっ?』

萩原『えっ、そうなの!』

松田『じゃあ今の話は何やったんじゃワレェ!』

私『なんだよ会えんのかよ!』

千秋『なんで?どこで?』

加賀山『なんか近くの大学通ってるらしくて』

レイ『どこの?』

加賀山『たぶん関学かなと…』

私『なんで分かったんだ?駅で会ったとか?』

加賀山『いや、Facebookとかで』

千秋『調べたの?キモ!オタクじゃん!』

私『千秋…加賀山は最初からオタクだぞ?』

加賀山『いや!調べたわけじゃなくて…たまたま

            Facebookの友達かも、みたいなやつで…、』

松田『ジブン調べたんちゃうんけぇ?このスケベ』

レイ『こーれは、絶対に自分で調べたな』

私『まぁどっちでもいいけど、連絡は?』

加賀山『いや、もう10年以上会ってないんで、

              たぶん忘れられてるかと…』

千秋『んーまぁ覚えてないわね』

私『そんなのまだ分かんねえだろ』

松田『そうじゃ、はよ連絡せえや』

加賀山『えぇ…、いやぁでも…』

 

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その日から数日、加賀山は店に姿を現さなかった。

 

私は松田の運転するスクーターで2人乗りになって

真夏の靖国通りを走っていた。

 

新宿御苑の松の木がほのかに香る道路を

スクーターに2人でまたがって走りながら、

曙橋まで来たあたりの信号で

運転する松田のヘルメットをコンコンっと叩いて

私から松田に話しかけた。

 

私『おい松田』

松田『なんじゃ?』

私『加賀山のやつどうしてると思う?』

松田『あぁこないだ話しちょった女の話か』

私『そう、あいつその子に連絡取ったと思うか?』

松田『あーどうじゃろ、たぶん無理じゃろな』

私『俺もそう思う』

松田『あいつオタクじゃからな、』

私『10年会わなかった好きな女の子に

       話しかけるなんて俺らでも厳しいよな』

松田『じゃけん、奴には無理じゃろうな』

私『こればっかりはな、あいつ次第だし』

松田『おい!あっこにデカブツがおるわ』

私『は?』

 

松田はウインカーも付けずに急ハンドルを切ると、

靖国通りをUターンして側道にスクーターを付け

『パパパーーーー!!!!』と大音量で

ラクションを鳴らした。

 

まったく、ヤンキーの習性というのは、

何歳になっても変わらないものらしい。

 

松田『ほれ、おったじゃろ?デカブツが』

私『本当だ、お前よく見つけたな。ありゃハギだ』

 

これほどの大音量のクラクションを鳴らされても

こちらを振り向きもしない巨体の持ち主は、

優しい巨人 萩原だった。

曙橋の暗い古本屋の奥で、

大きな身体を丸めながら何やら雑誌を読んでいた。

 

私『おーい、ハギ!』

松田がまたクラクションを短くパッ!と鳴らす。

萩原はやっとこちらに気付いてニコッと笑い

店の奥から小さく手を振った。

 

私と松田は蒸れたヘルメットを脱いで、

長時間のエンジン振動によって

少し痺れた足をブラブラさせながら

暗い古本屋の店内へ入っていった。

 

松田『ハギ、お前エロ本読んでたんじゃろ?』

私『ハギがエロ本か、そりゃあいいな』

萩原『いや、エロ本じゃないよ』

私『なに読んでたんだ?』

萩原『コレだよ、けっこう探したんだ』

 

彼が得意げに見せて来たのは、

コロコロコミック 2003年 6月号』

 

私『おっ!懐かしいなコロコロじゃん』

松田『デンジャラス爺さん連載しとるけ?』

萩原『あれから加賀山の事が気になってね、

         たしかこの頃のコロコロってさ、

         どこの街で配信イベントやってるとか

         書いてあったなーと思って。』

私『あーたしかに、そんなページあったな。

       オレ田舎だったから関係なかったけど』

松田『ワシもじゃ』

萩原『たぶん、僕の予想だと

          加賀山はまた、色違いのミュウを

          探してると思うんだ』

私『うん、大いにあるな』

松田『あいつがその子に話しかけるとしたら

          それしかないじゃろうな。』

私『でもあいつ、カセットはもう大昔に

      5歳下の弟にあげたから、

     データは残ってないとか言ってたぞ?』

萩原『つまり『ふるびた かいず』の配信が

         もう行われていない以上、

         色違いのミュウどころか、そもそも

        ミュウをゲットすること自体が不可能なんだ』

松田『加賀山の恋も詰んだか、アーメン』

私『アーメン』

 

私と松田の2人は、クリスチャンの萩原を

差し置いて、目を閉じ、胸に十字を切った。

 

萩原『でも方法はまだあるんだよ』

私『え?あるの?』

萩原『つまり、2003年当時

        東京のどこかの街でイベントに参加して

      そこで『ふるびた かいず』を受信、

       その後に中古として売られたカセットを        

        探し出せばいいんだよ!』 

 

私『ハギ、お前って奴は…優しいけど

       本当にバカだな…。』

松田『そんなの無理に決まっとろうが!!』

私『そうだぞハギ、

      仮に『ふるびたかいず』を受信した

     カセットがあったとしても

     せっかく配信イベントにまで参加して

      そのままミュウを捕まえずに、

      カセット売る奴なんているわけないだろ?…』

松田『まず100パーセントじゃな。

      その『ふるびたかいず』のデータは使われとる』

萩原『そう…だよね。』

 

先程までの意気揚々とした萩原の姿はなく、

狭い店内の中で巨体をかがめ、

のそのそ、とレジまで行ったかと思うと、

先程のコロコロコミックを買った。

 

松田『結局、買うんかい!!』

松田のツッコミとレジの『チーン!』

という音がまるでコントのように響いて、

我々はその古本屋をあとにした。

 

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加賀山が歌舞伎町の店に現れたのは

それから2日後のことだった。

 

今日は久しぶりに全員揃っての飲み会だ。

待ち合わせ場所はもちろんこの雀荘

私が店に入ると、

まだメンバーは加賀山しか来ていないようで、

その彼はというと、いつものように

ソファーの端に座り、ゲームをしていた。

 

私『よう加賀山!久しぶり!』

加賀山『…お久しぶりです。』

私『何のゲームしてるんだ?』

加賀山『グラセフです』

私『なんだそれ?俺にはよく分からんがお前、

       ポケモンはもういいのか?』

加賀山『ポケモンは…』

私『その後、女の子とはどうなった?

      話しかけたりしたか?』

加賀山『いやぁ…それは』

 

加賀山が口ごもると、

店の入り口の戸がチリーンとなって

千秋が騒がしく入ってきた。

 

千秋『もうほんと嫌になるくらい暑い!

          化粧溶けるわ!ってぐらい暑くない?』

私『おう、早いな』

千秋『久しぶりのみんな揃った飲み会だからね

          もし遅刻でもしようもんなら

          あんた達、私のこと置いてきそうだから。』

私『そんな事しないよ、あっそれで?

      その後どうなったんだ?加賀山?』

千秋『なに?まだあの子に声かけてないの?』

 

加賀山は千秋の前では

ちょっと話しづらいといった様子で、

またソファーの端で小さくなっていた。

 

すぐに『デコボコ』コンビが到着した。

萩原と松田である。

 

松田『おう加賀山!久しぶりじゃな!

          いいモン買ってきたけぇ見ろや』

萩原『それ買ったの僕なんだけど…』

松田『ケチやなぁ、100円の古本じゃろうが!』

2人はソファーの前の木製テーブルに

あのコロコロコミックを出した。

 

私『お前ら、だからコレは意味ねぇんだって』

 

加賀山は一瞬ゲームをやめて、

コロコロコミックに目をやったかと思うと

おもむろにテーブルの方に手を伸ばした。

 

加賀山『これ…懐かしいです…。』

 

彼は雑誌の最初の方にある

イベント情報のページをめくりながら

戻らない過去の日々が

鮮やかなカラーページに映るのを眺めていた。

 

普段こういう事には薄情な千秋も

加賀山の見せる無邪気な少年ぶりに、

いても立ってもいられないと言った様子で

ひとり、西陽のさす窓に行き

先程買ったであろうスタバの新作を飲んでいた。

 

松田『そうじゃ、レイはどうしよった?

          今日はあいつも来よるんじゃろ、

         他人の遅刻にはうるさい奴やけどなぁ?』

千秋『あー確かレイもミュウの入手方法が

           何とか、なんて言ってたような』

私『あいつなら、そのうち追いついてくるよ、

      それに、行き先はもう大体分かってる。』

萩原『行き先?レイはどこか行ってるの?』

私『んーまぁ、ただの勘だけどな。

       あいつも普段は冷たい奴だけど、

       気持ちは俺たちと一緒なんだよ』

松田『なんじゃ?今日はいつもに増して

          ゴッツぅカッコつけちょるわ』

千秋『じゃあ、もうそこ向かう?』

私『あぁ、そこでレイを拾ってな』

松田『なんじゃ?千秋ねぇさんも知っとるんか?』

千秋『汚いジイさんの店よ、

        あーあ私は行きたくないなー。』

私『加賀山も、一緒に来な』

 

我々は雀荘 梁山泊を後にして、

歌舞伎町の奥にある職安通りを北に進んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

新宿 歌舞伎町と一口に言っても、

その範囲はあまりに広すぎる。

よく見る『歌舞伎町一番街』のアーケードは

都内の大学生やサラリーマンが飲み歩くための

居酒屋チェーン店が乱立し、

 

東にいけばゴールデン街があり

ぼったくり店や怪しい店も多い。

 

二丁目まで行くとオネェやオカマ、

ゲイやレズなどの性的マイノリティーの楽園として

 

歌舞伎町はひと区画歩くだけで、

その用途や様子は一変する。

 

我々は北に向かって歩いた。

職安通りのホスト街を抜け、

ほとんど大久保の方まで来るとそこは、

ヤクザの事務所が入っている

有名マンションが立ち並ぶ、

歌舞伎町内でもあまり立ち寄りたくない区画だ。

 

松田『おい、佐々木!

         本当にこっちで方角あっちょるんか?』

加賀山『初めてこんなに奥まで来ました…。』

萩原『レイも…ここにいるの?』

千秋『さぁね、でももうすぐ着くわ』

私『きっとレイも、そこにいるさ』

 

我々はこの辺りではかなり背の低い、

三階建ての雑居ビルの前に並んだ。

私『俺は今から入るけど、お前らどうする?』

萩原『えぇ、どうしよう。松田は?』

松田『ワシは、やっぱやめとくわ』

私『じゃあお前らはそこのローソンで待ってろ

      あと加賀山は来い。千秋も来るだろ?』

加賀山『僕もいくんですか?!』

千秋『えー、行きたくない。あのオッサン汚いし』

松田『まっ、待てや。やっぱワシも行くわ』

萩原『じゃあ…僕も行こうかな』

私『なんだよ、お前らはローソンでいいぞ?』

 

私がローソンの方に目をやると、

店内では、いかにもな黒スーツを着た男3人が

レジの店員に向かって怒号を響かせていた。

再び松田と萩原に目をやると、

2人とも少し顔をこわばらせて

『ニッ』と笑っていた。

 

私『じゃあ全員だな』

 

そうして私を先頭にして、

ビルの中へ入っていった。

 

三階建てのビルのエレベーターは

ゴウン、ゴウン、と音を立てて

その速度は不気味なほど遅い。

 

狭くて暗いエレベーターの中で

せっかちな松田は緊張と不安からか、

ボタンを何度も押していた。

 

私『千秋、最後にここ来たのはいつだ?』

千秋『うーん二年前?前のお店やめる時に』

私『そうか、まぁ向こうも顔ぐらい覚えてるだろ』

千秋『変に物覚えがいいのよね。あのジイさん』

萩原『えっあのさ、何のお店かだけ聞いてもいい?

          僕、給料日前でお金なくて』

千秋『お金は、大丈夫よ』

松田『なんじゃ!『お金は』ってのは!』

私『千秋、あんまり怖がらせるなよ』

千秋『だって本当のことだから』

 

ちらりと加賀山の方を見ると、

エレベーターの端で、すでに動かなくなっていた。

 

『チン!』と古めかしい音がして

エレベーターの錆びたドアが『ジジジ…』と開く。

 

昭和中期に作られたであろうビルの内装は

所々ヒビ割れ、むき出しのコンクリート壁が

暗い建物の中に浮かんでいた。

 

奥の部屋へと続くドアの前には、

パイプ椅子が並べられ、

その前には小さなテーブルがひとつ。

そのテーブルの上には

ガラスの灰皿と雑誌が無造作に置かれていた。

雑誌の表紙には

雪印乳業、期限切れ商品を違法で販売!!』

ソニー、年度末にも破産申請!!』

と書かれており、いつの雑誌なのか分からない。

いや、そもそもそんな事件あったか?

 

ここに来ると、何もかもが疑わしく感じる。

不気味に遅いエレベーターも

昼なのに暗い店内も、

全ては奴のペースにひきずり込むための演出だ。

うちの仲間の3人ほどは、

もう既に向こうのペースだが、

さすが千秋だけは、慣れている。

 

嘘とハッタリ、その中にある真実が見抜けないと

ここでは、『奴』に食い物にされる。

 

人と思って付き合えば必ず身を滅ぼす。

この店は歌舞伎町の夜に携わった者なら

誰でも知っている。知っていても立ち寄らない。

厄介な『妖怪』の店だ。

 

『ギィィ…バタン!!』

奥のドアが開いて1人の男が出てきた。

すらっとした足に、華奢な肩、茶髪の長い髪。

 

それはレイだった。

 

松田『お、おう!レイ!

         貴様なにしとるんじゃこんな物騒なとこで、』

萩原『本当だ。佐々木の言った通り!』

 

仲間を見つけた2人は少し安堵の表情を見せたが、

加賀山は依然、緊張で固まったまま動かない。

 

レイ『りょうさん、やっぱりあんたもここに?』

私『あぁ、なんか聞き出せるかと思ってよ』

レイ『一応この封筒をもらいました。』

私『そうか、なるほどわかった。

      悪いがもう少しここに座って待っててくれ。

      松田とハギもここで待ってろ。』

加賀山『僕は?』

私『加賀山と千秋は俺と一緒に奥にいく』

加賀山『えぇ、やだなぁ』

千秋『しょうがないでしょ?

          ほとんどあんたの為なんだから』

加賀山『え?僕のため?なんのですか?』

千秋『説明するのもめんどくさい』

加賀山『えぇ、』

私『加賀山は、じきに分かるとして、

      レイ、悪いが松田とハギに説明しといてくれ』

レイ『え?なんの説明もなしに

          ここまで連れてきたんですか?』

私『そうなんだ俺も面倒くさくて、すまんな』

 

レイが、やれやれとパイプ椅子に座ると、

続いて松田と萩原も座り。

2人は、またぎこちない顔で『ニッ』と笑った。

 

私『それじゃ、』

 

奥の部屋へと続く扉の、冷たいドアノブを回して、

私と千秋、そして加賀山の3人は

更に暗い部屋へと進んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

部屋の温度は真夏というのに、

羽織るものが欲しいぐらい冷え込んでいて

加えてコンクリートの冷たい床が、

足の芯から心細さを駆り立てた。

 

薄暗い8畳ほどの部屋の中には、

手前に黒革の立派な椅子がひとつと

その奥に業務用と思しき灰色の机があって

背もたれの大きなボロボロの椅子は

向こう側の窓の方を向いたまま動かない。

 

私『ジイさん元気してたかい?』

??『んー?おや?その声は

        四ツ谷の旦那じゃないですか?

       お久しぶりですわ、おかげさまで病気もなく、

       しかしびっくりしましたよ突然、

       後ろから懐かしい声が聞こえたもんですから』

私『やめなよ、白々しい。

     最初から監視カメラで見てたんだろ?』

??『…全く、旦那の用心深さには参ります。

          相変わらずのご様子でなにより。』

 

千秋は黙って私たちの会話を聞いていた。

加賀山は怪訝な様子であたりを伺っている。

 

加賀山『誰と話してるんですか?

            この部屋のどこから声が…?』

千秋『いいから黙ってて、

          今からは絶対に余計なこと言わないでよ』

 

??『先程、お弟子さんがいらっしゃいましたよ』

私『レイだろ?あれは弟子なんかじゃないよ』

??『旦那も要件は同じでいらっしゃる?』

私『んーまぁ、そんなところだ』

??『では、先程のお弟子さんに伝えましたから

          彼から聞いたらよろしいですよ。』

私『あんたがあいつに

     本当のこと教えるわけねぇだろうよ。』

??『…いやぁ、本当、旦那には敵いませんわ』

 

遂に窓の方を向いていた椅子がくるりと回転し

こちらを向いた。

何度見ても慣れない、薄汚い顔の老人がいた。

 

加賀山はその老人の顔を見てギョッとした。

頭髪の大半はとうに失い、

耳のあたりから長い白髪が少し生えてるだけ

ニヤリと厭らしく笑った口元からは

細く黄色い歯が、まばらに生えている。

そして片方の目は、完全に潰れている。

 

この老人はいわば、歌舞伎町の『妖怪』。

戦後、まだ新宿が

そしてこの歌舞伎町が闇市だった時代から

この歌舞伎町に住み着き、

常識では考えられない手口と情報網で

雇い主のトラブルを解決することもあれば、

ある時は気まぐれに裏工作をして、

わざとトラブルを引き起こす。

そうして、人が転落していく様子を

美味そうに金を握りしめながら見て楽しむ。

そうして長く生計を立ててきた卑しい男だ。

 

歌舞伎町での水商売関係のゴタゴタには、

決まってこの老人の影がある。

 

老人『おや、そちらのお綺麗なお嬢さんも

         以前、どこかでお会いしましたな?

          確か六丁目の星野ビルに入ってた…』

千秋『そこまで覚えてるなら言わないでくれる?』

老人『おお、これは失礼しました。

          私の大切な旦那の、大切な方だというのに』

 

彼はいつもこうだ。

腰は低く丁寧に、人をおだてるようにしながら

その裏では、人間の破滅を待ち望んでいる。

 

老人『そちらのお若い男性は?』

私『彼が今回の依頼人かな。』

老人『おぉ、それはそれは!

         まぁしかし、そちらの彼では

         大方、使いものにならないのでは?』

私『だから俺たちが来たってワケよ』

老人『これは何ともお心強いお二人で、

         では依頼人は実質のところ、

         旦那というわけですな?』

私『そういう事だ。それで?何か分かったか?』

 

老人『それで金は?』

 

老人の顔つきが変わった。

 

私『ないよ。たかが昔のゲームの話なんかでさ』

老人『それではあんまりです。いくら旦那でも、』

私『長い付き合いだろう?

      別にそんな大した事を頼んでる訳でもない。

      たかが昔のゲームの情報だぜ?』

老人『大恩ある旦那の頼みでもちょっとねぇ…

          あれ、結構高値で取引されとるんですわ』

私『タダじゃ教えられないと?』

老人『えぇ、私も商売ですから』

私『『リリィの件』忘れたのか?』

老人『それを言われちゃうとなぁ、弱ります』

私『それ、チャラにしてやるってのは?』

老人『…』

私『どうだ?』

老人『…いいですよ。

         でも、それであの話は本当にこれで終わり』

私『ゲームの情報なんかで

      あの一件がチャラなんだ、

       お前にとっちゃ安いもんだろ?

      それで?なんか分かったか?』

 

老人は真夏にふさわしくない

厚手のダウンの内側の胸ポケットから

細長い茶色の封筒を出した。

 

老人『住所ですわ、ここに1番詳しい連中が』

私『ありがとう。

      だが、もう一つのも出してくれや』

老人『…?もう一つ?』

私『お前が情報渡す時はいつも

      封筒二つ用意してるなんてのは常識だよ』

老人『いえいえ、相手が旦那の時に限って

          そういうことはしませんよ』

私『信じてあげたいが、もしガセだったら、

      リリィの件もチャラには出来ねぇ。』

老人『やれやれ、旦那には敵いませんわ』

 

老人はそう言ってため息をつくと

机の中から今度は白い封筒を取り出した。

 

老人『はい、本物でさ』

私『ここで確認してもいいだろ?』

老人『あんまり人を疑い過ぎるのはよろしくない』

私『相手がお前だと、しょうがないよ』

 

老人はタバコに火をつけ、煙を燻らせた。

 

私『よし分かった。報告はあとでする。』

老人『嘘は教えてませんからね、』

私『それは結果次第だろう』

老人『まったく、まだお若いのに抜け目のない。』

私『お互い、何やってんだろうな

      たかがゲームごときでよ。それじゃあな』

老人『旦那、いい報告をお願いしますよ』

私『あぁ、ありがと。あとこの部屋冷えすぎ。』

老人『それは旦那がお若いからですよ。』

 

千秋と加賀山を連れて、寒過ぎる部屋を出た。

部屋の外では、他の3人がパイプ椅子に座って

タバコを吸っていた。

 

松田『おぉ!無事やったかお前ら!

          さっ、早くここを出て飲みに行こうや!』

萩原『2人はともかく、加賀山が無事でよかった』

千秋『どうして女の私が心配されないわけ?』

萩原『え、ごめんごめん』

レイ『どうでした?りょうさん?』

私『レイお前、封筒いくつもらった?』

レイ『え?普通に一つですけど』

私『それになんて書いてある』

レイ『えーっと、渋谷区宇田川町四丁目…』

私『俺の一枚目もそう書いてある。』

レイ『一枚目?』

私『つまり、それはガセなんだよ』

レイ『え!せっかく金払ったのに!』

私『となると俺の2枚目が本当だな』

レイ『えぇ、騙されたのかぁ』

私『いい薬になっただろ?

     あんな妖怪ジジイ、もう頼るもんじゃない』

レイ『それで2枚目にはなんて?』

 

私がビリビリと封筒を開けると、

一同が息を飲んで、その結果に耳を傾けていた。

意外といえば意外、

しかし当然といえば当然の住所であった。

 

私『今日の飲み会は『秋葉原』でやるぞ』

 

真夏の午後5時半、

このアスファルトばかりの新宿で

どこにセミなんているのか、

けたたましいセミの声に迎えられながら

我々は冷たいビルを出た。

 

日没までには、まだ少し時間があった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

JR新宿駅のホームで私達6人は

封筒に書かれた住所を確認していた。

 

台東区 秋葉原 △ー〇〇ー××

   ニュー淀川ビル14.5階】

 

レイ『ニュー淀川ビルってたしか…』

松田『あっ、ワシ思い出したわ!

         あそこのビル、たしか屋上が

         バッティングセンターになっとるんじゃ!』

萩原『いまスマホで調べてみたら、

          14階建で屋上がバッティングセンター

          って書いてあるよ?』

千秋『じゃあその封筒に書いてあった

            『14.5階』ってどういうこと?』

私『うーん、行ってみないと分からんな』

 

そうして私たちが話していると、

夏の日差しに輝く銀色の車体に

黄色いラインが眩しい総武線が到着した。

 

それにぞろぞろと乗り込んで新宿をあとにした。

 

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真夏の蒸し暑さとは無縁の快適な車内では、

少し早い夏休みを迎えた東京の小学生が

はしゃぎまわり、老婆が少し眉をひそめて

その小学生たちをチラチラ観察している。

その親らしい人物はというと、

我関せずという具合に

腕を組み、目を閉じて座っていた。

 

揺れる電車に立ちっぱなしの我々が

目線を上げると、頭上のつり革広告には

東京サマーランドではしゃぐ子どもの写真。

 

松田『ガキんちょっちゅう生き物は、

          一体どういうわけで

         あんなに楽しそうなんじゃろ』

レイ『お前も同じようなもんだろ』

萩原『でもやっぱり、

          あの頃はなんだか楽しかったよね』

加賀山『僕サマーランド、行ったことないです』

千秋『私は毎年パパに連れてってもらってた』

私『あんた連れてかないとゴネそうだもんな』

レイ『パパって、本当のパパ?』

千秋『それどういう意味よ』

松田『ワシも岡山で市民プールとか行ったのぅ』

レイ『俺は由比ヶ浜とか大磯ロングビーチかな』

千秋『あんた、その頃からチャラかったのね』

私『ははっレイの奴、言われてやんの!』

千秋『そういうあんたは?』

私『え?おれ?』

千秋『あんたも、田舎出身だから市民プール?』

私『おれは、親にどこか楽しいとこ

     連れてってもらった事とか、一度もないな』

千秋『あっ、そうなんだ…』

私『楽しいことは自分で探す派だからさ!』

レイ『りょうさんらしいっちゃあ、

          らしいっすね笑』

私『まあな!』

 

私はそう言って気丈に振る舞ってはみたものの、

やはり勘のいい千秋には気付かれてしまった。

私が笑いながら彼女の方に目をやると、

彼女は気まずい顔をして、私から目をそらした。

 

涼しい車内から見る夏の東京は輝いていた。

超高層ビルが立ち並ぶ

新宿の摩天楼をするりと抜け、

オリンピック間近の新国立競技場が

今まさに建設中の代々木、

新宿御苑の緑が心を癒す千駄ヶ谷

赤坂離宮の庭園が美しい信濃町

そして私が住み慣れた四ツ谷を抜けると、

江戸城 外堀の溜池が、

太陽の光を反射する小さな海となって輝いた。

 

私『水と緑って、やっぱり綺麗だよな』

松田『まーた浸っとるわこの阿呆が!

         もとは、その自然が嫌いじゃけえ

         田舎から東京に出て来たんじゃろうが』

私『なぁ松田、』

松田『なんじゃ!』

私『俺たち、田舎が嫌い…だったのかな。』

松田『それは言わんお約束じゃ、』

 

松田はポツリとそう言って、

おもむろにポケットからタバコを取り出し

火をつけようとした。

 

千秋『ちょっと!まだ電車よ?』

 

千秋の至極真っ当な一言に

松田は苦い笑いを浮かべた。

 

私はドアに寄りかかり、

またひとりで考えた。

 

私は田舎が嫌いだったのだろうか?

 

たしかに不便な思いも沢山した。

田舎という世界の狭さに辟易もした。

でも別に嫌いになったわけじゃない。

ただ、その時その時で、

自分のしたい事をするために

何も考えずに頑張ってたら、ここにいた。

 

でも、地元の友人は私のことを

一体どう思っているだろうか。

考えても仕方ない。

 

もう東京に来て6年。

本当に色々なものがある街だ、

それが人になれば尚更、

今まで出会ったことのないタイプの

人間に、毎日のように遭遇する。

 

田舎は安らぐが、退屈だった。

東京は疲れるが、刺激に溢れていた。

 

『東京が好きだ。』

 

それだけで今は十分だと思った。

それ以上は、考えないことにした。

 

萩原と加賀山は向こうのドアの方で

何か楽しそうに話している。

気付けば、千秋もレイも松田も、

さっきとは違う話題で盛り上がっていた。

 

すぐ1人になろうとするのは私の悪い癖だ。

昔から友達には困らなかったが、

仲のいい友達になればなるほど、

私の中の『不可侵な領域』に気付いて

彼らがそれ以上、立ち入る事はなかった。

そうして自分でも名前の付けられぬ

孤独が、いつまでも深まるばかりであった。

 

私『ところで松田、

    こないだフラれた女の子とはどうなった?』

松田『おいお前、なんで今その話するんけぇ?』

私『え?あぁ、すまん。』

 

独りになってからの会話の復帰は、

いつもこんな感じで失敗する。

 

それでもレイや千秋が笑ってくれたので、

場が少しだけ和んだ。

 

電車は既に水道橋、御茶ノ水を抜け

ガタン、ゴトン、と等速の音を刻みながら、

目的地である秋葉原へと向かう。

 

なんだか見慣れない光景だった。

 

松田とはいつもパチンコや競馬をしたり、

レイとは夜、仕事であうだけ。

千秋とはバーでよく飲む。

萩原とはスポーツ観戦の際に、隣に座るぐらい。

加賀山にいたっては、

プライベートで会うなんて事はほとんどない

 

普段は別行動の仲間たちが、

今日は一つの車両に乗っている。

その見慣れない光景と

ちょっと群れているような感覚に

私は密かに幸せを感じていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

電車は秋葉原に着いた。

私たちはアニメ広告が目まぐるしく移り変わる

『電気街』改札を出て、封筒に書いてあった

目的の住所へと向かった。

 

レイ『この住所に行くのはいいとして、

          そこに何があるんですかね?』

私『さぁ、ジイさんが言ってたのは

     『そこに詳しい奴がいる』ってだけだな』

松田『ゲームオタクって事かいの?』

萩原『もしかしたら、そこでもうデータが入った

         カセットくれたりして!…』

千秋『あのジイさんが紹介するような奴よ?

          そんなお人好しなわけないでしょ』

私『そうだな、大方、何か情報をくれるだけさ』

 

街を歩いている人間の群れに目がいった。

普段、歌舞伎町で暮らしている人間からすると

秋葉原を歩く人種というのは異質だ。

何か、我々とは全く別の価値基準で生きている。

そう思わざるを得ない服装と佇まいだ。

 

加賀山は、電車で萩原と話していたせいか、

少し元気になっていた。

 

いや違う、我々のメンバーの中で唯一

この秋葉原にホーム意識を

持っているのは、紛れもなく加賀山なのだ。

彼は目的地が近いからか、

それともこの街がホームグラウンドだからか

いつもより大手を振ってずんずん歩いていた。

 

たしかに、我々がこの町にいる彼らを

少し奇異に思うように、

秋葉原の彼らもまた、

我々の姿を訝しげに見て通り過ぎた。

 

 

我々のメンバーの中で、

最もこの街で浮いているのは誰だろう。

やはり千秋だろうか?

まずスカートの短さが他と比べ物にならない。

そしてヒールの高さ、一般男性よりも

高い目線になる事を一切憚ることなく、

背筋を伸ばして自信満々に歩いている。

 

ガード下の信号待ちで、

我々がほぼ横一列に並んでいると、

いかにも『オタク』といった装いをした

中肉中背(いや、少し太り気味)の男が

千秋の背後に近寄ってきて、

夏の日差しで少し汗ばんだ

露出の多い千秋の身体を、

その後ろからまじまじと見つめていた。

 

千秋は『キモっ』っと

道路の方を向いたままこぼした。

 

千秋との長い腐れ縁で分かった事が一つある。

 

彼女は後ろにも眼がある。

 

かくいう私も、彼女のその能力のせいで、

何度も痛い目にあわされてきた。

 

信号が青になり、我々は一斉に歩き出す。

横断歩道を渡り終わる頃、

千秋が私の二の腕を肘で小突いた。

 

千秋『見た?いまの?』

私『あぁ、オタク君?』

千秋『そう!ほんっと気持ち悪かった!

         何でこの暑い中、長袖のシャツなんか着てさ

        しかも腕まくりするなら半袖着ればいいのに

        汚い肌隠したいのか何なのか知らないけど、

        デニムに汗染み込んでるし、

        最初見たとき、漏らしてんのかと思った!』

 

加賀山が慌ててシャツの裾を伸ばす。

 

私『ここはあんたの大好きな表参道じゃないんだ

       もしかしたらあいつらだって、

      俺らが変に見えてるのかもよ?

      ここがアキバである以上、

      あれが正当な装いなのかもしれない。』

 

加賀山の歩幅が、また小さくなったのを感じた。

 

松田『あっ!加賀山がシャツの袖伸ばしとる!』

レイ『言ってやんなよ松田、

          こっちまで恥ずかしくなるわ!』

 

私の視線の端のほうで、

松田とレイの背中に、

巨漢の萩原が諌めるように

パンチを入れたのが見えた。

 

千秋『あっ!ユニクロあるじゃん!

          買いたいものあったんだー。

          ちょっと寄ってかない?』

 

全員が『しまった!』と思った。

この女の買い物が長いのは、

我々の中では有名な話だ。

それに付き合っていたら日が暮れる。

そう思って私が天を仰ぐと、

実際、日はもう暮れはじめていた。

 

しかし一度わがままを言い出した彼女は厄介で

そのリクエストを断ると、

あとは空気の悪い飲み会になるのを

覚悟しなければならない。

 

我々は二手に別れることにした。

千秋のユニクロには、

レイと萩原が生贄となった。

 

バッティングセンターで遊びたいという理由で、

松田はそれを逃れた。

私と松田、そして加賀山は

ついに封筒に書いてあった

ニュー淀川ビルにたどり着いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

我々はそのビルの正面に並び、

一階から屋上までを見上げた。

比較的新しいビルだった。

どこかの知らない企業の事務所や、

小さなスポーツ店、チェーンの喫茶店など

様々な用途で使われるビルらしく、

屋上には緑色の大きな防球ネットが張られ、

そこからはカーン、カーン、と

気持ちいい打球音が我々の頭に降り注いだ。

 

松田『よし、行くかいの!』

私『お前バッティングセンター行きたいだけだろ』

加賀山『でも14.5階って何なんでしょう?』

私『とりあえず行ってみないとな』

 

3人はエレベーターに乗り込む。

大企業が管理する小綺麗な、

真新しいエレベーターだった。

 

やはり14.5階のボタンはない。

 

私『とりあえず14階だよな』

そう言ってボタンを押した。

 

エレベーターのスピードはとても快適だった。

すぐに14階に着きピンポーン!とドアが開いた。

 

やはりビルの下から見た通り、そこは

サッカーやバスケなどのグッズを取り扱う

スポーツ用品店だった。

 

松田『なんじゃ?やっぱりここじゃないのかの?』

私『ここがなんの店だろうと別にいい。

       問題は『14.5階』がどこにあるか。』

加賀山『あっ!エスカレーターがありますよ!』

 

とりあえず3人で乗ってみた。

エスカレーターは途中で折り返していて、

その踊り場にはただ、

用具入れの扉があるだけだ。

そのままエスカレーターに乗って、上に上がる。

 

屋上に来てしまった。

そこは最新のバッティングセンターらしく

プロ野球の有名選手の投球モーションが

画面に映し出されており、

そのモーションに合わせて

白球が勢いよく飛び出していた。

 

松田『おおー!噂には聞いとったが、

         こんな立派なところじゃったか!』

私『これは、屋上に出ちまったな…』

加賀山『僕、一応店員さんに聞いてきます!』

 

喜んでいるのは松田だけで、

彼はすでに両替機の方で千円を

ジャラジャラと小銭にくずしていた。

 

松田『まぁお前らそこで見とれ!

甲子園球児のバッティング見せちゃるわ!』

私『おぅ、がんばれよー…。』

 

私がカウンターで店員と話している

加賀山にのほうに目をやると、

彼は首を横に振った。

 

加賀山『やっぱり14.5階なんて無いそうです…。』

私『だよなぁ、やっぱりあの妖怪ジジイ…。

       信用ならねぇな』

 

私は松田のバッティングを後ろから

眺めながらネットに手をかけ、

少しの間ぼんやりと球が出ては、

綺麗にバットが弾き返すのを眺めていた。

松田は、相変わらず楽しそうである。

 

1ゲームが終わると、松田はバットを置き

ネットから出てきた。

 

松田『どうじゃった?』

私『やっぱダメだったよ』

松田『なに!どういうことじゃ!?』

私『だから、14.5階なんて無いんだとさ、』

松田『ええか?ワシが聞いとるのはな?

          そんなしょうもない事じゃないんじゃ!

          ワシのバッティングがどうだったか?

          とお前らに聞いとるんじゃ!』

私『あぁ、凄かったよ。お前は大したもんだ。』

 

加賀山はもう生きる気力をなくしたように、

以前にまして小さく見えた。

 

私『まぁコーヒーでも飲もうや!買ってやるから』

加賀山『…ありがとう…ございます…。』

松田『ワシ、ジョージアな!微糖のやつじゃ!』

私『あー分かったよ了解。

       お前はそこでもう1ゲーム打ってな。』

 

私と加賀山は自販機を求め、

再びエスカレーター前に向かった。

 

私『さて、どうしたもんかねぇ…』

 

私はそんなことを呟きながら

松田と加賀山と自分のコーヒーを買った。

 

加賀山『あっ、先輩。僕コーヒー飲めないです。』

私『お前それ、早く言えよー』

加賀山『すみません、あっでも、微糖なら?

              飲めるかも?しれないです。すみません。』

私『お前、もう大人なんだから

      コーヒーぐらい飲めるようになれよ』

加賀山『そうですよねー…』

 

私と加賀山はその流れで

喫煙所を探すことにした。

ちなみに加賀山はタバコを吸わない。

 

私『あれー、喫煙所なんて普通はどこでも

      屋上にあるもんだけどなぁ…。』

加賀山『あっ、14階にあるらしいですよ!』

 

加賀山がエスカレーター前の案内図を指差す。

 

私『じゃあ14階まで降りるか、仕方ない』

 

私と加賀山は再びエスカレーターで

14階へと降りることにした。

折り返し地点の踊り場に着いた時、

想像もしなかった事が起きた。

 

『ガチャ』っと音がして振り返ると、

用具入れと書いてあるドアから、

なんと男が出てきたのだ。

 

私たち2人があっけにとられていると、

用具入れの中から出てきた男は、

私と加賀山を見るなり

『あっ、ヤバっ』と呟いて

また用具入れの扉の向こうに消えた。

 

加賀山『びっ、びっくりしたぁ…。

            一体誰だったんですかね?今の人…』

私『いやぁ俺も久々にびっくりしたが、

      でもお前、コレが『アレ』…だろ?』

加賀山『アレって?』

私『14.5階…だよ』

加賀山『えええーー!!!』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

妖怪ジジイの言った通り、

ニュー淀川ビルの14.5階は確かに存在した。

 

私たち2人は心を落ち着かせて、

その『用具入れ』と書いてある扉をノックした。

 

私『いいか、加賀山。

     ここからはお前が行くんだぞ。』

加賀山『えぇ…僕だけ行くんですかぁ?』

私『いや俺も付いてく、だが質問はお前がしろ。

      オレは、ゲームのことはよく分からん。』

加賀山『わ、わかりました…。』

 

しかし、ノックしたのにいつまで経っても

中から人が出てこない。

もう一度ノックしてみたが、結果は同じ。

 

私『よし、加賀山。お前開けてみろ』

加賀山『え!マズイですよそれは』

私『仕方ねぇだろ誰も出て来ねぇんだから、』

 

加賀山はしぶしぶ鉄製のドアノブに手をかけた。

 

扉は開いた。

 

中は外見からでは分からないほど広く、

テレビが数台、その周りには最新のゲーム機や

少し懐かしいゲーム機から伸びたコードが

乱雑に散らばっており、

その画面に向かって食い入るように

男達が7、8人で各々ゲームをしていた。

 

加賀山『あの…すみません』

 

加賀山が声をかけると男達は一斉に

無表情のまま、こちらを振り向いた。

 

オタクA『なんですか?』

加賀山『あの、えっと…

           僕…歌舞伎町のおじいさんからの紹介で』

私『バカそれは言わなくていい…』

加賀山『えっと、ちょっとお尋ねしたい事が…

             あの…色違いのミュゥ…』

オタクB『会員じゃない人は入室禁止なんで』

 

結局、

私たち2人はあっさり追い出されてしまった。

 

加賀山『やっぱりダメでしたね…』

私『いや、そんなことはない。

     とにかく場所は掴んだんだ。チャンスはある。』

加賀山『でも、会員以外は入室禁止って…

           そもそも彼ら、何の会なんでしょう?  』

私『ゲーマーの会だろ?』

加賀山『それはそうでしょうけど…』

私『ゲームが大好きなお前みたいな奴が集まって

      毎日楽しくゲームしてんだろ?オタサーだよ。』

加賀山『んーまぁきっとそうでしょうけど、

            会員にならなきゃ入れないですよ。

             待ち伏せしても、無視されそうだし』

 

私『これはもう『姫』を呼ぶしかねぇな。』

加賀山『姫?ですか?』

私『いるだろ?買い物の長いお姫様が。』

加賀山『えええーー!!』

 

私は早速、その『姫』に電話をかけた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『姫』の力はさすがの一言であった。

オタク達は千秋を見るなり、

私たち2人に対して見せたような冷遇とは

はるかにかけ離れた

格別の高待遇で部屋へと迎え入れ、

色違いのミュウのことを

千秋に問われるがままに惜しげもなく話した。

 

私『やっぱりな。オタクは女に弱い。』

 

私がしめしめ、と自分のアイデアに酔っていると、

 

加賀山『でもこの場合『姫』というより

              千秋さんの力が凄い気がします。』

私『ん、それもそうだな』

 

確かに加賀山の言う通りだ。

彼女はオタクに限らず、夜の店に来る男達に

湯水のように金を使わせ、狂わせ、

膨大な額の金を搾り取る。

こういう芸当をやらせたら彼女は一級品なのだ。

 

私は屋上のベンチでコーヒーをすすりながら、

心の中では彼女に

これ以上ない賛辞の拍手を送っていた。

 

ハイヒールの音が近づいてきた。

千秋『終わったわよん♡』

加賀山『あっ!千秋さん!どうでした?』

千秋『んーそうね、あらかた聞き出せたと思う。』

私『おお!さすが姫、素晴らしい働きでしたぞ!』

千秋『やめてよね、姫って言ったり

          女王様って言ったり』

私『すまんすまん!

      さっ、オレらがグルだって

     あいつらにバレる前にズラかろうぜ!』

 

私たちは足早にそのビルを出た。

 

ビルの出口で疲れ果てた

レイと萩原にばったり遭遇した。

 

どうやら買い物はユニクロでは終わらず、

その後も大型家電量販店員や

アクセサリーショップにまで

付き合わされたらしく、

大きな荷物を宅急便で送るのに、

ひどく骨を折ったらしい。

 

レイ『こんな暑い時に、人に荷物持たせるなよ。』

萩原『ほんと疲れたよー。

         そっちは何か分かった?』

加賀山『バッチリです!まだ詳細は分からないけど

            千秋さんが聞き出してくれました。』

レイ『なんか加賀山、お前元気になってんな?』

加賀山『そうですか?普通ですけど?』

 

買い物に付き合わされ、

疲弊しきった男2人を見ているからではない。

加賀山の目が希望にあふれ、

その小さな身体から生気が溢れ出ているのは

誰の目にも明らかだった。

 

加賀山『さて、用事も済んだし。

              飲みに行きますか!』

レイ『もうタクシーで行こ、姐さんの奢りで』

萩原『僕もそれがいいと思う』

千秋『えー!なんでよー!

         そもそも『疲れた』って私が聞いたら

      2人とも『全然疲れてない』って言ったじゃん』

レイ『強がったんだよ、男だから!』

千秋『じゃあ今度も歩きなさいよ』

萩原『勘弁してよー』

 

安堵と達成感に包まれた我々を、

夏の東京独特のぬるいビル風が吹き抜けた。

ふいに空を見上げると、

鬱陶しかった太陽は既に、ビルに隠れ見えない。

 

それでも昭和通りを走る車の数は

ここに来た時と何も変わらず、

せわしない車の列が延々と流れていく。

このビルの前に初めて立った時のように、

屋上からは相変わらず、

カーン、カーンと乾いた快音が

我々の頭上に降り注いでいた。

 

我々は絶え間なく流れていく

昭和通りの車の列から

一台の大型タクシーをピックアップし、

それにワラワラと乗り込んだ。

どこに飲みに行こうか?なんて

他愛もない話をしながら

萩原が思い出したように言った。

 

萩原『あれ?松田は?』

 

私『あのバカのことはもう忘れろ』

 

松田を除く5人を乗せたタクシーは

笑いに包まれながら、

飲食店があかりを灯し始めた

秋葉原の飲み屋街へと、

滑るように入っていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

結局、本日1番の活躍を見せた千秋のリクエストで

寿司の食べ放題に行くことになった。

 

乾杯のビールもそこそこに、

酒飲みが揃いぶみの我々は

早々にビールから日本酒へと切り替えた。

 

私『おい!岡山の酒あるぞ?松田いねぇけど!』

萩原『いいねいいね!それ飲んじゃおう!』

 

しばし和やかなムードで宴会は続いた。

 

その岡山の日本酒を飲み終わる頃、

やっと松田が到着した。

 

レイ『遅いぞ松田!』

松田『貴様らそれでも人の子か?

          ワシゃあ、あのあとお前らが来る思うて

          10ゲームしよったんぞ?』

私『まぁ怒るな、座れよ松田!

      お前の故郷、岡山の酒だぞ?』

松田『ワシゃあ酒が飲めんのじゃて!!』

 

すっかり出来上がった我々は

その後もゲラゲラ笑いながら、

次々に日本酒の瓶を開けていった。

 

加賀山『そうだ千秋さん!

             ミュウのこと教えてくださいよ。』

私『そうだー!それが大事だー!』

レイ『千秋ねぇさん!話せ話せ!』

松田『なんじゃ、結局お前ら

         あのオタク達から聞き出せたんか?』

萩原『松田がバッティング練習してるうちにね』

松田『なんじゃワシも行ってみたかったのう、

          その『14.5階』ゆう場所に』

私『ロクな場所じゃなかったぞ?』

 

千秋がオタクから聞いた話はこうだ。

 

1、色違いのミュウをゲットする方法に裏道はない

2、神保町〜新宿三丁目にかけての古本屋で

    ごく稀に『ふるびた かいず』の未使用データが

     残ったカセットが発見されることがある。

3、『ふるびたかいず』の未使用データが

       残っているカセットは非常に高値で

      取引されることが多く、まず市場に出回らない。

4、仮にそのカセットを入手出来たとしても、

     色違いのミュウが出現する確率は10000分の1

 

レイ『おい、気が遠くなってきたぞ…』

萩原『神保町から新宿三丁目までにある古本屋の

         カセット全部買い占めるお金なんて…』

松田『ワシらも遊び半分で付き合いよったが、

          こればかりは、さすがに無理じゃけぇ…』

私『出現率は数こなせばなんとかなるとして、

      そもそも問題はカセットの入手だよな。』

加賀山『……。』

 

加賀山は日本酒のグラスをテーブルに置いて、

膝の上に両手をのせていた。

確かにまだ可能性はある。

しかし、その可能性があまりにも儚すぎた。

そのことにショックを隠せないようだった。

 

私『まぁ元気出せよ加賀山、

       難しいかも知んないけど、まだ可能性はある』

 

加賀山『いいんです。入手困難なのは

            なんとなく分かってましたから、

           関係ないみなさんまで付き合わせちゃって

            なんかすみません。』

萩原『いや、僕たちのことはいいんだよ。

          どうせ暇だったわけだし。』

加賀山『そもそも、あんなにレアなポケモン

             最初からむりだったんです。

             しかも昔のゲームだし、』

 

千秋『ふーん、諦めるんだ。じゃあ。これで、

          その子とも永遠にバイバーイ!ってわけね。』

私『何もそんなハッキリ言わなくていいだろ。

      あんたのそういう所、昔から好きになれない』

 

千秋はグラス片手に『ふんっ』とそっぽを向いた。

 

あっけなく終わりを迎えた悲しい結末の後には、

険悪なムードが流れた。

 

大皿に残った、トロ、金目鯛、ウニ、イクラ

宝石のようにきらびやかな寿司達も、

今は静まりかえって、その輝きを潜めていた。

 

我々が探し求めていた宝石、

ポケットモンスター『エメラルド』は

幻のカセットになってしまった。

 

食い意地を張っていた男達も、

静かにその箸を置いた。

 

加賀山『皆さん、今日は一日

           僕なんかのために、

        なんかありがとうございました。

        無理ってことが分かっただけでも十分です。

        それより、皆さんが協力してくれたことが僕は

 

 

私『あ“あああああーーーーー!!!!!!!』

 

 

 

松田『なんじゃ!いきなり大声出すなや!

          お前らしくもないのう!』

 

私『千秋!!お前!!お前!!』

 

私はその時、大変なものを見つけた。

 

彼女の前に置かれた箸置きである。

 

美しく翡翠色に輝く直方体の、

その材質は石ではない。プラスチックだった。

忘れもしない、

私が子供の頃、宝物のように持っていた。

 

そう、それは紛れもなく

『エメラルド』のカセットだった。

 

千秋『もう!!気付くのおそすぎ!!』

 

レイ『マジか!えっ!マジかっ!』

 

萩原『えっ!なんで持ってるの?盗んだの?』

 

千秋『失礼ね!盗んだりしないわよ!

        そのカセットちょうだい?

        って言ったら勝手にくれたんだもん!』

 

私『千秋、それ『ふるびた かいず』のデータは?』

 

一同が、息を飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千秋『残ってる♡』

 

男全員『イヤッフぉーーー!!!!!!!』

 

その時の我々ときたらもう、

酒をこぼすどころのはしゃぎ方ではない。

振り上げた日本酒は

狭い個室に雨となって降りそそぎ、

一時は輝きを潜めた大皿の宝石達も、

水気を取り戻して、また以前の輝きを取り戻した。

我々のはしゃぎ方があんまりだったようで、

すぐに店員から注意を受けた。

 

レイ『こんな激アツな展開がくるとは…』

私『すげぇ!千秋、あんたすげえよ!』

松田『ワシのことバッティングセンターに

         置いて行きよったんも許しちゃるわ』

萩原『これであとは加賀山が色違いを出せば…』

加賀山『出来ます!これで出来ます!』

 

加賀山は千秋から

エメラルドのカセットを受け取ると

何度も礼をいいながら、

拝むように待望のカセットを

自らの額にこすりつけた。

 

なんだかんだ、彼女は優しい女だ。

長い付き合いの千秋のことを、

本当に心からそう思った夜だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

3時間の寿司食べ放題を終えた我々が店を出ると、

時刻はすでに12時近くなっていた。

 

私『よーし、じゃあ加賀山が早く

     色違いのミュウ見つけられるように、

     神社にお参りしていこうぜー!』

千秋『えー、アキバに神社なんてあんのぉ?』

松田『ひとりクリスチャン混じっとるがのぅ

          ええんかいのぅ?その辺は?』

萩原『僕なら、ウッ、大丈夫。ウッ…

          修学旅行も京都だったし…ウッ…!』

レイ『それでぇ、りょうさん神社どこにあるか

         知ってるんですかぁー?』

 

完全に飲みすぎた我々は肩を組みながら、

なだれ込むようにタクシーに乗り込んだ。

 

運転手『じゃあ、どちらまで?』

私『湯島ぁ!でお願いしまーっす!

      湯島天神でー!!』

運転手『かしこまりました、

            では春日通り沿いで付けさせて頂きます。』

全員『はぁーーい!!』

 

我々をギュウギュウに詰め込んだタクシーは

ピカピカ光る街灯が眩しい秋葉原を出て北上し、

続いて上野御徒町交差点を左に左折し、

春日通りの坂を登っていった。

 

レイ『湯島天神って、聞いたことあるぞぉ?』

萩原『学問の…神様だよっ…ヒックっ…』

松田『佐々木よぉ、なんでワレェ

         そんな場所知っとんのじゃ?』

私『おれぁ、昔なぁ、この辺住んでたんだわ』

千秋『えー!私その話聞いたことないー!』

加賀山『それ確か、佐々木さんがお兄さんと

             暮らしてた頃ですよねぇ?』

私『おぉー加賀山ぁ!お前に話したんだっけ?』

加賀山『はい昔、聞いた覚えがあります』

 

運転手『はい、大変お待たせ致しました。

             湯島天神。到着でございます。

           お忘れ物ございませんよう、お願いします』

 

レイ『加賀山ぁ、カセット忘れんなよぉー!』

 

レイがそう言って冷やかす。

私が加賀山の方を振り返ると、

いかにも『シャキーン!』といった様子で

カセットを見せてくる。

 

私『ったく、元気になってよかったよ本当に』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

湯島天神は荘厳な神社だが、

夜間、境内は開放されている。

昔この辺に住んでいた私は、

上野で飲んで家に帰る際、

よくこの湯島天神の境内を通って

ショートカットしたものだ。

 

千秋『湯島天神って学問の神様でしょ?

         いいの?ゲームのお願いなんかして?』

私『いいんだよ。そんな事は。

     これだって立派な遊びの勉強だ』

レイ『ほら、さっさと拝んで帰ろうぜ』

松田『二礼二拍手一礼じゃ、間違うなや?』

萩原『分かってるよ。あれ?加賀山は?』

 

我々が振り返ると、

加賀山が柳の下でうずくまっている。

我々が心配して近寄ってみると、

酒の飲み過ぎで吐いてしまったようだ。

それを見てると、なんだか笑えてきた。

 

私『お前、ほんとバチ当たりなヤツだな、

      神社の境内で吐くなよ、みっともない。』

加賀山『ゔうぇーっ…すみません。

            だって、普段こんなにのまないから』

 

ひと通り吐き終えた加賀山を加えた後、

我々は気を取り直して、

学問の神様に参拝した。

 

鐘を鳴らし、小銭を投げ、二礼、二拍手、

そして、長い一礼をした。

 

その時、社の奥で『ゴトッ』と音がした。

みんなその音に慌てて、目を開けた。

 

レイ『なんだ?泥棒か?』

千秋『もしかして祟りじゃない? 

          さっき加賀山が吐いたから』

私『千秋、怖いこと言うなよ』

 

その時、社の奥が青く光った。

次の瞬間、

青白く、ツルのように

長い尻尾が見えたかと思うと、

その青い光は社の横に飛び出し、

近くの草むらのにガサガサっと消えた。

 

私『今の見たか?』

松田『尻尾が生えちょったな』

加賀山『生き物…ですかね?』

レイ『生き物はあんな風に光らんだろ。』

千秋『ミュウじゃない?』

私『千秋、それ笑える』

萩原『でもミュウはピンクだよ?』

私『ほら、色違いのミュウだから…。』

全員『……』

全員『あはははは』

 

そうして全員でひと笑いした後、

酔いがサーッと冷めていくのを感じた。

 

私『よし!今日はこれで解散!』

 

私の声で、一同はそそくさと帰路に着いた。

 

帰りの方向が一緒の萩原と松田は電車で、

 

加賀山は新宿に自転車を取りに行くと言って

レイと一緒のタクシーに乗った。

 

私と千秋の家は近いので、

一緒に四ツ谷までタクシーで帰った。

 

長い1日が終わった。

今日はなんといっても、

千秋の活躍が大きかった。

それに、

いつもは加賀山を小馬鹿にしているレイも

実は彼のために

密かに情報収集をしていたこともわかった。

 

静まり返ったタクシーの車内では、

千秋が私の右肩に頭を乗せてきた。

いつもなら『ほら、しっかりしろよ』と

払いのけるが、この日はこのままにしておいた。

 

酔っ払った彼女は更に調子づいてきて、

私の右手まで握ってきた。

酒で火照った彼女の指が、

やけに感度を高める。

胸元の露出が多い服は、

もう少しで全部見えてしまいそうだ。

彼女の髪から香るいい匂いのせいで、

私にも、なんだか良からぬ感情が湧いてきた。

 

私『少し窓を開けてもいいですか?』

運転手『あっ、すみません!暑かったですか?』

私『いえ、そうじゃないんです。』

 

私は少しだけ窓を開けて、いつまでも

真夏の東京に流れる風の音を聞いていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

10,000分の1という確率は、甘くなかった。

 

ミュウに遭遇する直前にセーブをして、

それが色違いでないことを確認すると、

電源を消して、という行程を何百回も繰り返した。

 

狭い雀荘で、

大人6人で固まって、

ゲームボーイアドバンス

小さな画面を見ながら

色違いのミュウが現れるのを待った。

 

時には私や他のメンバーが

加賀山とプレイヤー交代をしたりした。

その繰り返しも、1000回を超えてくると、

もうほとんど神頼みになった。

 

我々は思いつく限り、

さまざまな『願かけ』をしたりした。

 

紙にミュウの絵を描いて、

その上に、店長の黄さんが大事にしている

パワーストーンを置いてみたり。

 

今日の運勢を調べて、

運のいい方角を向いてプレイしてみたり。

 

果てには

千秋の胸の谷間にカセットを挟んでみる。

というくだらない願かけまであった。

 

そんな事を何千回も繰り返して、幾日か過ぎ

ついに誰も数えるのをやめたある日の夕暮れ、

 

待ちに待った『色違いのミュウ』は現れた。

 

加賀山『きっ、きたぁー!!!』

レイ『え、うそ!!』

私『マジかっ!遂に来たか!!』

千秋『え!見せて見せて!どんな色?』

 

かつて子供だった大人たちは

加賀山のソファに駆け寄った。

 

 

我々が待ち焦がれた色違いのミュウは、

なんとも名状しがたい、

美しい青色をしていた。

 

萩原『これが色違いのミュウ…』

松田『ずいぶん、待ったのう…』

レイ『色違いって、青…だったのか…』

千秋『綺麗…』

私『あぁ、本当だな』

加賀山『やっと、会えました』

 

我々はしばらくその姿に、

ここ数日間で起きた夏の出来事を重ねていた。

 

加賀山『それでは、捕まえます』

私『ミスるなよ』

 

ポケモンを確実に捕まえられる

マスターボールが手元から投げられると、

ミュウはそのボールの中で少し動いたあと

ピタっと動きを止め、マスターボールに収まった。

 

レイ『やっと、終わったな』

萩原『長かった』

私『俺たちの仕事はこれで終わりだが、

      加賀山はここからが本番だよな?』

加賀山『え?』

千秋『ほら、例の女の子に見せるんでしょ?

          そうだ、なんていうの?その子の名前』

加賀山『みうちゃんです。』

千秋『え?ミュウちゃん?』

加賀山『違います、美羽(みう)ちゃんです』

私『なんの偶然だ?これ。まぁ頑張れよ』

松田『ワシらも一緒についてくけぇ心配いらん』

加賀山『えっ、皆さんもくるんですか?』

レイ『行かねーよ!お前1人でやれ』

松田『ワシは、付いてってやってもいいぞ?』

私『松田お前、自分が最近女の子にフラれたから

       他人がフラれるの見たいんだろ?』

萩原『まだフラれるって決まったわけじゃ…』

私『あっ、そうか』

千秋『ほんと最低な男ね、あんた達』

 

レイ『ところで、ミュウは青かったな』

私『何いまさら言ってんだよ、レイ』

レイ『いやだから、俺たちが湯島天神で見た

           『光る生き物』も青色だったな。って…』

全員『……』

全員『あははは!!!』

 

いつもの調子を取り戻した我々が

談笑に花を咲かせる店の中には、

あの青色のミュウが運んでくれたのか、

どこか懐かしい感じのする。

涼しい夜風が吹いていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

それから数日後の蒸し暑い夜、

私は仕事終わりの千秋と

とある青山一丁目のバーで待ち合わせをしていた。

 

少し紫がかったネイビーの生地に

うっすらと茶色い、太めのストライプが入った

セットアップスーツを着て、

琥珀色に輝くウイスキーボトル達を

ぼんやり眺めながら、

店長の選曲センスの良さが光る

ジャズ音楽に耳を傾けたり、

逆サイドのカウンターに座っている

下心が丸見えの男女の会話に耳をそばだてては、

バーテンダーと苦笑いをしたりしていた。

 

彼女は少し仕事が押しているようで、

ナッツをつまみに、軽めの赤ワインを

くるくる回しながら彼女を待った。

 

そもそも千秋のやつ、どうして今夜は

こんな気取ったバーを選んだんだろう。

いつもはガヤガヤしたアイリッシュパブ

ビールをしこたま飲むだけなのに。

 

私が二杯目のワインを何にしようか、

メニューから選ぼうか、

それとも店員に聞こうか迷いながら

タバコに火をつけると、

上品な白シャツに黒ベストで

これまた黒い蝶ネクタイをした

50代ぐらいの店員が重いドアを開けて、

千秋を店内に迎えた。

 

千秋『ごめん、ちょっと遅くなった』

私『お先に一杯頂いてるよ』

千秋『二杯目は?』

私『いま考え中』

 

その日千秋が着ていた

白地に上品な金刺繍が入った

ノースリーブワンピースは

この店の雰囲気と良くあっていた。

それどころか、灯りを落とした暗い店内に

上品な白いワンピースと

色白な彼女の美しく長い腕がよく映えて

彼女は一瞬でこの店の主役となった。

 

私『今日も素敵なお洋服で、』

千秋『あなたのスーツも素敵よ』

 

2人で会う時は必ず洋服をほめる。

少しかしこまって『あなた』と呼び合う。

これは我々がオーセンティックなバーで

会う時の不文律のルールであった。

 

千秋『私はマルガリータにする』

私『俺はカフェ・カベルネ

千秋『あなた、それ好きよね。安ワインだけど』

私『いいだろ、好きなものを飲むんだ俺は』

 

バーテンダーに注文をすませると、

すぐに彼女の前にはチャームとして

小ぶりな皿にのった生チョコが提供された。

 

私『いいなぁ、俺にはナッツだったのに』

千秋『いいでしょ?生チョコ

        私にはいつもコレ出してくれるの』

 

私が先程まで会話に耳をそばだててていた

逆サイドの男女を見てみた。

やはり男も女もチャームはナッツだった。

 

それからすぐに、カウンターの向こうから

マルガリータと赤ワインが提供されると、

私たちはグラスを合わせることなく、

軽く会釈するように乾杯した。

 

千秋『あー美味しい。

       やっぱり自分のお金で飲むお酒は格別』

私『俺はタダで飲めるに越したことはないね、

      なんなら奢ってくれてもいいんだよ?』

 

千秋は少し笑って、また一口飲むと、

 

千秋『女の子をタクシーに置いたまま

         ひとりで帰るような人には奢らなーい』

私『こないだの事まだ怒ってるの?』

 

そんなこんなで

しばらく仕事の話や世間話をした後

ふいに加賀山の話になった。

 

千秋『そうだ、加賀山!

         例の子に話しかけたかな?』

私『ん?あーそうだそうだ、加賀山のやつ、

     結局ミュウの件でその子に話しかけて

     隅田川の花火大会に誘ったらしいよ?

     そこでいよいよミュウを見せるんじゃない?』

千秋『えー!意外。けっこう話進んでるのね。』

私『なんかあいつも、自信ついたのかな?』

千秋『花火大会かー。田舎の高校生みたい。

          それ、誰のアイディア?』

私『松田』

千秋『やっぱりね』

 

千秋はいつも、

クルーザーの上から花火を見たり、

ヨーロッパまで行って花火を見たりしているが

それらは全て仕事である。

意外にも彼女のプライベートが寂しいのを

私は付き合いが長いせいで、よく把握している。

 

私『隅田川の花火大会、一緒に行く?』

千秋『え?ふたりで?』

 

私の唐突な言葉に

彼女の表情には少しの動揺が見られた。

 

私『うん、ダメなら松田とかと行くけど』

千秋『えっ、えーっと、どうしよっかな?

        仕事とかあるかもしれないし、多分ないけど』

私『そう、』

千秋『あっあとで確認して連絡するから』

私『そう、分かった』

千秋『だから一応…空けといて』

私『OK、分かったら連絡して』

千秋『…うん』

 

その後、

終電をとっくに過ぎた夜中3時までバーで飲んで、

麹町にある彼女のマンションまで

タクシーで送った。

 

白い石を基調とした立派な玄関から

マンションに入っていった彼女は、

エレベーター前で一度こちらに振り返ると

少し口もとを緩ませながら小さく手を振り

そのままエレベーターの中に消えた。

 

私は金がもったいないので家まで歩いた。

ここから500メートルと行ったところだ。

酔い覚ましにはちょうどいい距離である。

 

コーヒーを欲していた私は、

公園の暗闇にポツンと光る自販機を見つけた。

夏場の自販機は、その人工的な明るさに

周りには羽虫がたかっている。

 

秋葉原のニュー淀川ビルで、

加賀山に缶コーヒーを飲ませたのを思い出した。

 

ここ数日で、1人の男子が成長したように思う。

コーヒーも飲めなかったあの加賀山が、

女の子に自ら話しかけ、

更には花火大会にまで誘った。

 

今、彼はどんな気持ちだろう。

運命の花火大会当日に

女の子と話す内容でも考えているのだろうか、

ふいに彼の気持ちが知りたくなって、

いつもは選ばない甘いコーヒーのボタンを押した。

 

スーツでは暑すぎる夏の夜、

私は羽織っていたジャケットを

小脇に抱えてネクタイを緩め、

甘いコーヒーをすすりながら、

革靴の音をアスファルトに響かせて、

少しだけゆっくりと、自分のアパートに帰った。

 

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隅田川花火大会当日、

蝉の声が時雨となって降り注ぐ道路を、

私は車を運転しながら会場に向かっていた。

 

環七通りはいつもに増して渋滞で、

私はセカンドギアのまま、少しずつ

アクセルを踏んだり離したりして

花火大会へ向かう車達の長蛇の列に紛れていた。

 

助手席から大きなサングラスをかけた千秋が

なにやら不満そうに話しかけてきた。

 

千秋『なんで電車にしなかったのよ』

私『俺はそれでもよかったけど、

       電車だと長い間立ちっぱなしだぞ?

       あんたが大変だと思ってさ』

千秋『誰もそんなこと頼んでないから』

私『そんな高いヒール履いてきて、

       今更なに言ってんのさ、』

 

私がそういうと

千秋は一段と不満そうに、

スタバの黄色いフラペチーノを飲んでいた。

 

私『それ、なに味?』

千秋『トロピカルマンゴー』

私『夏だねぇー』

千秋『飲みたいならあげる』

 

私は前を向いたまま、

口もとだけ動かして、

千秋の差し出すストローを加えた。

 

千秋『加賀山、うまくいってると思う?』

私『どうだろうな、実はそこら辺はどうでもいい』

千秋『どういうこと?』

私『あいつがその子とうまくいけば一番いいけど

     実は、そんな事は些細なことなんだ。 』

千秋『だから、どういうこと?』

私『初恋を『終える』ということの方が

      男にとっては大事なことなのかもしれない。』

千秋『変なの、結果が全てなのに。』

 

少し夕陽が厳しくなってきた。

私は座席上にかけておいた

サングラスをかけた。

 

サングラスの2人を乗せたセダンは

環七通りを少しずつ前進し、

夏の隅田川が見えてきたころには、

あたりは少し暗くなり、

川から吹いて来る涼しい風を感じることができた。

 

私は隅田川の土手近くにある、

花火がよく見える駐車場に車を停めた。

 

千秋『さて、場所取りにでもいく?』

私『いや、ここでいい。』

千秋『ここ?なんで?車から見るの?』

私『そういう計画なんだ。』

千秋『そういう計画?』

 

『計画』というのは加賀山のために

松田が用意した計画である。

 

彼らは昨日の時点で既に、

この隅田川土手の

場所取りを済ませていて、確かにそこは

花火がよく見える絶好の位置だった。

 

加賀山と美羽ちゃんはここで花火を見ながら、

いいタイミングで加賀山が

例の青いミュウを見せる。

 

松田らしい。ベタベタの告白作戦だった。

そしてその土手の場所は、

我々が今停まっている車のフロントガラスから、

ちょうど正面にあたる。

この駐車場は、

花火も告白も見ることができる、

絶好のポイントだった。

 

千秋『なるほどねぇ、でも松田に頼んだのが

          加賀山も運の尽きね、』

私『まぁオレも、それは思う』

 

松田の告白が失敗した例というのは数え切れない。

 

カーステレオから流れる音楽を聴きながら、

花火大会が始まるのを待っていた。

数分後、

加賀山とその子の姿が見えてきた。

 

私『おっ!来たぞ来たぞ!』

千秋『美羽ちゃん、結構かわいいじゃない!』

私『ほんとだ、加賀山のやつやるな!』

 

夕暮れのオレンジが地平の向こうに沈み、

青色を帯びた真夏の夜の天球が、

この辺り一帯を包んだ。

隅田川の向こう岸から、

まだ薄明るい群青の夜空に

すぅーっと一筋の煙が上がると、

ピンク色の牡丹が夜空に広がった。

少し遅れて、

大玉の弾ける音が『パンっ!』と聞こえると

隅田川の土手は歓声に包まれた。

私たちもサングラスを外して、

次々と水面に浮かんでは消える

色とりどり光の花を、黙って眺めていた。

 

花火というのは、なんと短い命だろう。

数えて10秒も経たないうちに

美しく咲いては消えて行く。

 

打ち上がるピークの時間帯が終わり、

少しの間があって、

青い大輪のしだれ柳が夜空にあがった。

短い夏を惜しむように、

青く光る無数の枝は、夜空に糸を引きながら

ゆっくりとゆっくりと、隅田川に落ちていった。

 

千秋『『青』って、きれい…』

 

私も心からそう思った。

 

私たちが花火に見とれているうちに、

もう一つの短い命が、

隅田川の土手に落ちていた。

 

私たちが夜空から目線を土手に移すと、

既に美羽ちゃんの姿はなく、

加賀山は土手に、ひとりで座っていた。

 

私『短かったな。』

千秋『最初から分かってたくせに』

私『良かったんだよ、これで』

千秋『かわいそう…』

 

千秋は夜なのに再びサングラスをかけて、

少し鼻をすすったかと思うと

車のサイドガラスの方を向いた。

 

千秋の顔が映るサイドガラスの方を見ると、

その向こうで、

スクーターに2人乗りしていた、

チビとデカのコンビが、

力なくエンジンをかけて走り出したのが見えた。

 

私『俺たちも帰ろう』

 

大学生の夏休みは長い。

8月の上旬、まだ始まったばかりだ。

 

私が車のエンジンをかけ、

ハンドルを回しながら車を出す。

まだ土手で丸まっている

加賀山に目をやると、

その隣には

いつか湯島で見た青い光の生き物が、

長い尻尾を垂れて、

まるで彼に寄り添うように座っていた。

 

ーーーーーーーーーーーー終わりーーーーーーーー