聖帝さまの小話

基本、思い出。

見舞いにきた古い友人。

 

師走のふたご座流星群が、

冬の澄んだ夜空に星を落としていた。

 

私が大酒を飲むのはいつものことだが、

今度ばかりは反省している。

 

私は午前3時、寒い駅前の広場で心臓をおさえ、

意識を失い、救急車でこの江戸川病院に

運び込まれた。

 

薄れゆく意識の中で覚えているのは、

地面から見上げた流星群と、救急隊員の声

担架にベルトで縛られた感覚と心電図の音。

 

意識を取り戻すと、

私は白いベッドの上にいた。

私の右手には点滴の針が刺さり

透明な袋に入った透明な液体が

私の頭の上で小さく揺れていた。

 

まだ朝があけていないのか、

それとも、もう夜になってしまったのか、

情けない、それすらも分からない。

 

静かだ。

というよりも、音がしない。

右側にある心電図が、

私の心臓が止まっていないことを

緑色の折れ線で教えてくれる。

しかしピッピッと音がしない。

私が見たドラマだと、

こういう時は機械音がしているはずだ。

 

私の耳が聞こえなくなったのか?

物音がしない。その辺に人間がいるのなら、

少なからず、どんな小さな音でも

聞こえてくるはずだ。

 

院内は水を打ったように静かだった。

 

あたりを確認しようと、目を動かす。

頭に嫌な痛みが走った。

右目と左目の調節がうまくいかず、

世界がねじれて見えた。

 

カーテンが揺れている。

 

すると、私の左側の窓の方から声がした。

 

『そのまま寝ちょったらええ、』

 

昔聞いた岡山弁だった。

 

頭の痛みをおして、声のした左側を見ると

黒い革ジャンを着た、茶髪の若い男が、

丸椅子に座っていた。

 

私『松田…か?』

 

彼は腕を組んで俯いたまま何も言わない。

 

私『元気にしてたか?』

 

私がそう聞くと、

彼は白い歯を見せて少し笑った。

 

松田『お前昨日は、ようけ飲んだようじゃのう』

私『あぁ、やっちまったよ』

 

彼は革ジャンのポケットに手を突っ込んで

立ち上がると、窓の方を眺めていた。

 

私『静かな病院だな。音がしない。』

松田『お前には聞こえんのじゃ』

私『やっぱりそうなのか?』

松田『死ぬときゃ、そうなるもんじゃ』

私『俺は死んだのか?』

松田『アホじゃのう。まだ生きとるわ』

 

窓の外はまだ暗い。

私はしばし、

音のない世界で彼との会話を楽しんだ。

 

私『今何時だ?』

松田『ワシにはわからん』

私『お前、時計もないのか?』

松田『腕時計付けちょるが意味はないんじゃ』

私『どういうことだ?』

松田『時間ちゅうのはな、

         生きてる人間にしか

         意味のないもんなんじゃ』

私『松田…』

 

私は口をつぐんだ。

 

2年前の3月、彼はバイク事故で死んだ。

 

朝が近づいてきて、彼が段々と

希薄になっていくのが分かる。

 

松田『もうじき朝じゃ、ワシは行くけぇの』

私『もうちょっとここにいろよ』

松田『ダメじゃ、行かなぁいけんのじゃ』

私『そうか』

 

松田は少し悲しい顔をして、

私の左胸に手を当てた。

 

松田『ここからが本番じゃぞ、下手したら死ぬぞ』

私『参ったな…。』

松田『ほいじゃ、元気でな。生きろよ。』

私『ありがとう、また。』

 

暗い病室に、白いカーテンが揺れると、

彼はすでにいなくなっていた。

 

遠くの方で、

バイクのエンジンをかける音がした。

 

私は寝たまま正面に向き直った。

白いカーテンがふわりと舞い上がると

 

今まで音を無くしていた世界が、

一斉に動き始めた。

 

激しい心電図の機械音、

医師と看護師が私を呼ぶ声がする。

 

ベッドの足に付いているキャスターが

カラカラと回って、

私は病院の廊下に運び出されていた。

 

ドッドッという心臓の音が首を伝わって

頭に響いてくる。

 

私は再び意識を失った。

 

気がつくと私はまたベッドの上に寝ていた。

点滴の管につながれ、身動きが取れない。

心臓の方は少しおさまってきたようで、

頭上の心電図も安定した音を刻んでいる。

窓の外を見ると、もう陽は高く上っていた。

 

松田の姿を探したが、やはり見当たらない。

 

でもかわりに、左側の丸椅子には

無機質で真っ白な病室に

ふさわしくない派手な格好の女がいる。

 

千秋『起きた?』

 

彼女が私の首筋に触る。

私はまだ熱を帯びているようで、

少しひんやりとした彼女の指を感じた。

千秋『ほんとに死んじゃったかと思ったわよ』

私『あぁ、でも松田が、会いにきてくれたよ』

千秋『怖いこと言わないでよ…バカ』

私『すまんすまん』

 

窓から見る冬の江戸川は綺麗だった。

枯れた草木が黄金色に輝いて、

その中を江戸川が、

まるで紺色の大きな龍のように、

ゆっくりと静かに流れている。

 

千秋の差し出すコンビニの

みかんゼリーを頬張りながら、

河川敷のどこか遠くで聞こえる、

バイクのエンジン音を

いつまでも聞いていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー終ーーーーーーー